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初恋抄(12)志2020年5月1日更新

ときどき、福岡の梅崎流青さんとランチを食べる。お店はいつも同じ場所で、メニューも「花籠膳」と決まっている。流青さんが11時30分と時間を指定すると、私はその15分前にはお店に行って花籠膳を注文し、流青さんの到着と同時に花籠膳がテーブルに出てくるようにしている。これは、体育会系の方にはご理解いただける行動だと思う。

流青さんはいつも、いろんな話をしてくれる。私の勉強不足もあり、なにを言っているのか分からないこともある。そんな時は家に帰ってネットで検索するのだが、ネットでも調べきれない話もたくさんあって困っている。

先日のランチでのこと。終わったばかりの第8回卑弥呼の里誌上川柳大会について触れられた。これまでで一番多い投句をいただき、念願の全47都道府県からの投句を成し遂げることが出来たので、私はてっきり褒められるものだと思っていた。

流「久美子の営業力はよく分かった。だがこれからは、自分自身の句をもっと掘り下げてしっかり考えるべき時期だ」 私「え?私の句ですか?」 流「川柳に対する志はなんだ?久美子自身はどんな作家になろうと思っているんだ?」

とっさの質問に、私は何も答えることが出来なかった。私にとって川柳とは食事と一緒で、生きていく上で欠かせない当然の存在だからだ。当然の存在をどう言葉にすればいいのか分からなかった。それに「ごはんと一緒です」なんて子供じみた回答で流青さんが納得してくれるとも思えず、ただ黙ってしまった。それでも何とか答えなければならない重い質問だと感じたので必死で考えたが、何も言えなかった。当然、美味しいはずのランチの味は消え失せてしまったが、車の中でも、家に帰ってからも、ずっと考えていた。

「志」

書いてみれば、なんと見栄えの良い言葉だろうか。複数の柳社に所属して締切に追われ、目の前のことを片付けながら作句することにいっぱいいっぱいの自分がここにいる。私に「川柳に対する志」など本当にあるのか?私はどんな川柳作家になろうとしているのか?志も無く、ただひたすらに作句しているだけではないのか?川柳作家の真島久美子は空っぽだと言われても仕方がない。空っぽの私が産みだした句に誰が共感してくれるというのだ。

流青さんの質問は、未だに私の中で燻り続けている。今のままでは、私はこの質問の答えを見つけることはできないだろう。私の「志」とはなんだろうか。器用に作句出来ることが必ずしも自分の武器にはならないということを、心底痛感している。

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