top of page

初恋抄(13)ヨッシー2020年6月1日更新

新型コロナの影響で、句会や大会に参加できないストレスの大きさに自分でも驚いている。春と秋は土日のほとんどが大会で埋まり、平日は句会や教室でいっぱいだ。そんなときは「なんで私はこんなに忙しいんだ。たまには休みたいよ…」なんてぼやいていたのに、いざ無くなってしまうと抜け殻になったような気分になる。今回気付いたのは、私は入選したくて大会に参加しているのではなく、柳友に会いたくて参加しているということ。吉野ヶ里大会も卑弥呼の里女流大会も誌上大会にせずに中止にしたのは、みんなで集まって会ってこその大会という気持ちが大きかったからだ。

私が今一番会いたい柳友は、東京在住の丸山芳夫さん。私は彼を「ヨッシー」と呼んでいる。毎週web句会にも投句している「ヨッシー」だ。彼と一緒に大会や句会に参加すると、楽しさが倍増する。ヨッシーはものすごくのんびり屋さんで、乗るはずの電車のドアが目の前で閉まってしまうことなど日常茶飯事。私は「超」がつくド田舎者で、都会の電車に乗るのが怖く(乗換えが苦手)、ヨッシーについて行くしかない。電車に乗るとヨッシーは若ぶって私に席を譲ってくれるところも好きだ。もっと好きなところは、すぐにタクシーに乗るところ。東京はドラマのようにすぐにタクシーがつかまるので、ヨッシーの右手が上がるのを今か今かと待ち構えている。ヨッシーはとにかく聞き上手のツッコミ上手。笑うツボが同じなので、いつも二人で大爆笑をしている。いや、大爆笑をしているのは私だけで、ヨッシーは両手を口に当てて静かにずっと笑っている。

一番の思い出は、大阪で開催された番傘川柳本社の大会に参加した帰りに、京都の嵐山を観光したこと。舟で16キロにも及ぶ保津川下りをしてクタクタになってしまい、嵐山を歩く元気が無くなってしまったので人力車で街を回った。そこから帰ろうとしたら、ヨッシーの足が痙攣してしまい京都に一泊。次の日は哲学の道を二人で歩いて、東京へと帰っていった。帰りのヨッシーのポケットには二千円しか残っていなかったので、帰って妹さんにそうとう叱られただろう。

ヨッシーは軽いパーキンソン病を患っている。川柳界には高齢の方が多く、病気を抱えて作句されている方もたくさんいる。だからこそ「生きる」という言葉が詠み込まれた句も多い。この「生きる」を詠み込むと、句に迫力がプラスされるのでテクニックとしてはアリなのだろうが、本当に「生きる」ことと向き合った句と、テクニックだけの句は違うと私は常々思っている。だが安易に使うべき言葉ではないと感じるのは、私自身がまだ「生きる」ことと本気で向き合っていないからなのだろう。

ヨッシーにはとにかく元気で長生きして欲しいと願っている。ヨッシーの句は言い得て妙なものが多く「確かに!」と納得すると同時に、よくもまあこんなどうでも良いことを十七音字にまとめるものだと、妙にスッキリした感覚が残る。「豆電球」という句集を出版しているので、ぜひとも読んでもらいたい。きっと、ヨッシーの飾らない「生きる」を感じてもらえると思う。


閲覧数:49回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page