別に隠しているわけではないが、川柳をしていない人と交流をするとき自分から「川柳をしている」と言い出すことは滅多に無い。だが「久美ちゃん仕事はなにやってるの?」と聞かれると、私には「川柳」以外に答えるものがなく、そこからはもう質問攻めがお決まりのパターンだ。
特にやっかいなのが飲み会。酔っ払いは面倒だし(私はお酒を飲まない、というか飲めない)、川柳について熱く語ったとしても「じゃあ私も川柳を始めるわ!」なんて言う人はいるはずもない。誰かが「久美子って川柳を学校に教えに行ってるとよ~。新聞にも毎週載ってるとよ〜」なんて言い出すと、もう収拾がつかなくなる。「川柳って先生必要なの!?教えることあるの!?」「川柳って一句いくらになるの?」と質問の連続。さらには私が一番苦手な言葉「ここで一句!」が必ず登場する。それだけならまだしも「吟じます!」と言い出し「川柳のようなもの」を連発する輩も出る。即吟は得意な方ではあるが、川柳を「かわやなぎ」と読む友人達を前に何を詠めというのだ。だからといって「川柳のようなもの」に合わせることは私にはできないし、「私、真面目にやってるので」なんて言うと場は冷めるし、心の底から「やめてくれ」と言いたくなる。
みんなに共通しているのが、『川柳=サラリーマン川柳』ということ。サラリーマン川柳が悪いというわけではない。むしろわかりやすい面白さがあって、川柳の間口を広くしてくれている。サラリーマン川柳のお陰で川柳という言葉がメジャーなものになった。川柳を始める取っ掛かりにはもってこいである。問題は文芸川柳の認知度が絶望的に低いことだ。飲み会で「サラリーマン川柳と文芸川柳の違い」を力説すればするほど小難しいと思われてしまうのは当然で、その距離感にも葛藤を覚えるのだ。
二十年ほど前だが、私の親友が彼氏と同棲していて、そのアパートに集まる仲良しメンバーで作句していたことがある。みんな年齢が近いので、わかば川柳会に投句する一題三句をわいわいと作句していた。私に「この句はどがん?」と見せるので、句の上に○をつけて返す。その○が三つになると一題が終わる。そうこうしながら夜中まで作句する時間は本当に楽しいものだった。三年くらいで二人が別れてしまいその集まりもなくなってしまったが、その三年でみんなとても上手くなった。一緒に作句をすれば誰だって良い句を作れるようになることを私はそこで学んだのだが、川柳をしていない人との飲み会や食事会をきっかけにするには、まだまだ川柳という文芸の認知度が足りていないと感じている。「ここで一句!」へどう対応すればいいのか正解はわからないが、なんとかきっかけにできないものかといつも考えている。
「久美ちゃん仕事はなにやってるの?」に「川柳」と答えても質問攻めにならない世界に、いつかできるといいな。
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