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初恋抄(19)地獄を詠む2020年12月9日更新

 私が子供の頃、佐賀番傘川柳会は願正寺という佐賀市内の大きなお寺で開催されていた。投句を済ませるとなにもすることがないので、いつも本棚の絵本を読んでいた。数冊置いてあるのだが、どれも天国と地獄についての絵本。本当はもっと可愛くて面白い絵本を読みたかったのだが、選択肢が天国と地獄しかないのだ。子供ながらに「地獄」の魅力に取り憑かれてしまった私は、何度も何度も地獄のページばかりを読んでいた。これを読むと怖くて一人で眠れなくなることは分かっている。それでも、読まずにはいられない魅力が地獄にはあった。天国の美しいページはとても退屈で、パラパラと捲って終わり。また地獄のページに戻ってじっくりと目を通す。自分でもなんて恐ろしい子供だったのかと思う。

 先日、句会で静岡県を訪問した。そこで仲良くしている柳友に伊豆までドライブに連れて行ってもらったのだが、その帰り道に面白い建物を発見する。「伊豆極楽苑」という怪しい建物で、入口には大きな鬼がピースサインをして立っている。一度素通りしたのだが、どうしても気になったので無理を言って寄ってもらった。そこには、あの頃読んだ本と全く同じ世界が広がっていた。係のお兄さんが閻魔様までの道程を説明してくれるのだが、その話し方が笑えるほど嘘っぽい。話を聞きながら、子供の頃に願正寺で読んだ絵本と重ねていた。そこには地獄に落ちた人間が鬼に痛めつけられている様がリアルに再現されていて、やっぱり地獄って本当にあるのではないかと思えてくる。そして本と同じように、極楽浄土の部屋はとても美しくて退屈だった。

 死んでしまったら天国と地獄のどちらに行きたいかなんて「天国」に決まっている。だが、作句するにあたって、天国と地獄のどちらを詠んだ方が面白いかも一目瞭然である。地獄を楽しみ、それを真面目に表現する。私達は常に、作句する題材の中で生活をしている。アンテナを張ってみれば、あちらこちらに地獄も天国も広がっている。人間を詠むということは、そういうことなのかもしれないなんて、帰り道の助手席で漠然と考えていた。


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