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初恋抄(23)閑雲さんへ2021年4月5日更新


 今回、第九回卑弥呼の里誌上川柳大会の発表誌に、とても辛い報告をしなければならなかった。代表代行を務めていただいていた高柳閑雲さんの訃報だ。卑弥呼の挨拶文の中にも書いたし、奥様への手紙も書いた。そして、こうやってパソコンに向かってこの文を書いている今でも、閑雲さんの死を受け入れられない。

 実は閑雲さんといつ出会ったのかをよく覚えていない。いつの間にか仲良くなって、いつの間にか連絡を取り合うようになって、いつの間にかお互いの大会へ出向くまでになっていた。卑弥呼の里誌上川柳大会が七百名を越す大会に成長したことも閑雲さんのお陰で、私の地元の佐賀県よりも、閑雲さんの地元の愛知県の参加者が多くなるほどだった。いつも卑弥呼のこと、私のことを心配してくれて、自分の持病のことなど微塵も感じさせないかっこいい人だった。

2017年3月、私、父、母と閑雲さんでバリ島へ旅行に行った。これは閑雲さんの発案で、本当ならば川柳の仲間大勢で行って、向こうで句会をしようと考えていた。だが、場所はバリ島だし、川柳の仲間はご高齢の方が多く、結局四人で行くことになったのだ。閑雲さんは仕事で海外にいた経験があり英語が堪能。まるで添乗員さんのように、私達を案内してくれた。私の両親を「お父さん、お母さん」と大事にしてくれて、まわりには四人家族に見えていたことだろう。

 2018年には沖縄旅行もした。四人にスズメイ、ヨッシーと妹さん、マロン、文ちゃんも加わり賑やかな旅行となった。これがガンで闘病していた父との最後の旅行になるのだが、閑雲さんのお誘いがなかったら美ら海水族館のエイを前に「お父さんが呼んだらエイがこっちにきたよ」なんて本気で言う父を見ることは出来なかっただろう。その時の父のうれしそうな横顔が胸に焼き付いている。

 次の旅行は台湾の予定で「俺は嫁さんを連れていくから、久美はまた家族で行こうや。コロナが落ち着いたらすぐ行こう!」と話していたのに、もうその約束が守られることはなくなってしまった。2021年2月12日のLINEが閑雲さんとの最後のLINEになるなんて思ってもみなかった。

閑「おはよう。コロナで寒気したり、また、花粉症みたいで変だよ。身体大事にね」

久「大丈夫~?コロナじゃないことを祈るよ。あんまり無理しないでね!」

閑「ありがとう♪」


閑雲さんへ

「閑ちゃんからの連絡が途絶えて、もう二ヶ月近く経とうとしよるよ。第九回卑弥呼の里誌上大会も無事に終了したし、第十回に向けて相談したいこともいっぱいあるっちゃけど、時間とれんかな?居酒屋おかめで待ち合わせしゅーさ。さゆりさんにも会いたいし、私がまたそっちに行くけんさ。いつもご馳走してもらってばっかりやったけん、私も一回くらい奢るよ。好きなだけ飲んでよかけんね。そうそう、卑弥呼二句も入選しとったやん!閑ちゃんやったね!!!」                            久美子より



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