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初恋抄(28)浩二兄ちゃんの盾 2021年9月5日更新

 川柳大会では上位に入賞すると盾をもらえることがある。山梨大会でもらった盾は琉球ガラスに句が書かれたそれはそれは美しい盾。宮﨑大会の盾にも句が彫られていて、数年経っても飾ったままにしている。他にもいくつかは飾っているのだが、家族全員分となると置き場所にも困ってしまう。特に入賞句が書かれていない盾はどうしても思い入れが薄くなりがちで、最近では仏壇にしばらく上げたら押し入れに仕舞うことが多くなっていた。

 先日、わかば川柳会のメンバーの浩二兄ちゃんが亡くなった。浩二兄ちゃんは、わかば川柳会でくみ子姉ちゃんと出会って結婚したので、仲人は私の両親だった。奥さんのくみ子姉ちゃんは「久美子」という私と同じ漢字なのだが、私のために雅号をひらがなにしてくれた優しい人だ。浩二兄ちゃんは数年前から難病を患い、句会にはくみ子姉ちゃんが浩二兄ちゃんの投句を持って参加していた。その投句もだんだんなくなり、くみ子姉ちゃんだけが参加するのが当たり前になった。その頃、風邪で病院に行ったときに、浩二兄ちゃんと久しぶりに会った。

「浩二兄ちゃん!久しぶりやん!早う川柳会に顔出してさぁ。寂しかやんね。」

「うん…がんばって…治すけんね…ちょっと…待っとってね」

と、杖をつきながらゆっくりゆっくりしゃべる浩二兄ちゃん。私は病気の進行というのはこんなにも残酷で、こんなにも早いのかと涙を堪えるのが精一杯だった。

それから一年もせずに、浩二兄ちゃんは旅立った。お葬式は家族葬で、二人の自宅で行われたのだが、近所なので葬儀が終わってから母と二人でお参りに行った。小さな祭壇には浩二兄ちゃんの笑顔の写真。その横にはリボンが変色してしまった盾が一つだけ置かれていた。近づいてみると「佐賀市長賞」と書かれていた。十五年ほど前に、佐賀県読者文芸大会川柳の部で、浩二兄ちゃんがもらったものだ。浩二兄ちゃんはその盾を宝物のように大事にしていたそうで、浩二兄ちゃんの支えだったようだ。

 私は家に帰って、押入れに仕舞っていた盾や賞状を出して、一つ一つを眺めながら、浩二兄ちゃんを思い浮かべた。浩二兄ちゃんに見せたいなぁと思った。叶わぬ願いになってしまったのはとても悲しいけれど、きっと浩二兄ちゃんはいつもの笑顔で「久美ちゃんスゴかやんね!」と頭を撫でてくれたことだろう。


         わかば川柳会合同句集「点」より


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