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初恋抄(3) 父がいない大会2019年6月3日掲載

第41回吉野ヶ里川柳大会

平成31年4月21日、第41回吉野ヶ里川柳大会を開催した。この大会は41年前から父が代表で続けてきたものだ。第30回くらいまでは地元の由緒あるお寺「修学院」(正式には背振山積翠教寺修學院)で開催していて、名前も「修学院川柳大会」だった。その会場は50人でいっぱいだったが、部屋の窓から見える景色は最高で参加者の心を和ませてくれる場所だった。現在では参加者が増えて修学院ではスペースが足りなくなってしまったので、場所を変更して「吉野ヶ里川柳大会」と名前も変えたが、我が家では未だに「修学院大会」と口走ってしまうほど定着している。 吉野ヶ里川柳大会の大きな特徴が「手作り」だ。賞品には父の手作りの竹細工が並び、参加賞も父が育てたいろんな苗木をお持ち帰りいただいていた。昼食は筍料理、山菜と新鮮な地元の食材でおもてなしし、その料理を楽しみに参加してくださる人もいたほどだ。昼食後のアトラクションも手作りで、みんなで大会の為に歌の練習をしたり、笛や踊りの練習をしたりするのがとても楽しかった。

この大会を中心に父の一年が回っていたのだが、去年父が亡くなり私が続けていくことになった。私は卑弥呼の里川柳会を主催していて、誌上大会と女流大会という大事な大会を2つ抱えている。父が元気な頃に「お父さんがヨボヨボになって動ききれんくなったら、吉野ヶ里と卑弥呼を合併させようね」と話していたので、よほど合併させようか悩んだのだが、母に「久美ちゃんならできるよ!」と背中を押され別々でしっかり続けていこうと決めた(おだてられるとすぐ調子に乗る性格)。 去年は文切さんに選者をお願いして、それはそれは好評だった。おばさま方から「文切さんって可愛いかね~!」「いやぁ川柳界にもイケメンおったとね~」など、文切スマイルにヤラれる人が続出。今年は、仙台から月波与生さん、愛知から高柳閑雲さん、和歌山から木本朱夏さんを選者にお招きして開催した。

父がいない大会。

大会準備中の私にとっては、第41回吉野ヶ里川柳大会はそれだけの大会だった。やる気のある振りをしてもどこか空っぽで、竹細工も苗木も準備できなくて、何に謝ればいいのか分からないけれど、全部に謝らないといけないような気持ちでいっぱいだった。 ところが大会当日、西村正紘さんが開会の挨拶で父のことに触れてくださり、黒川孤遊さんが黙祷の時間を設けてくださった。たくさんの方々にお声がけもいただいた。そこでやっと、私の中に小さな「覚悟」が生まれた。私は真島清弘ではく、真島久美子だ。だから、私は私にできることしかできない。竹細工どころか、鋸も持てない。苗木だって何から始めればいいのか分からない。自分にできることをやればいいという当たり前のことを、大会が始まってから気付くなんてバカだと思うが、それはやはり皆さんのお蔭だとしか言いようがない。 第41回吉野ヶ里川柳大会は、私自身にとって大きな節目の大会になったことは間違いない。私ならできると思わせてくれたのは、父でも母でもなく、参加してくれたみなさんだった。

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