top of page

初恋抄(4) 国語の先生2019年7月1日掲載

ある中学校の国語の先生から電話をいただいた。 先生「中学二年生の子供達に俳句を教えていただけないでしょうか?」 私「俳句ですか?私は川柳しか教えられませんので、俳句は俳句の先生にお願いしてください」 先生「あ、すみません。川柳で結構です。川柳を教えてください」 私「本当に川柳しか教えられませんよ?大丈夫ですか?」 先生「大丈夫です。子供達は俳句を作っていますので、それを見て添削していただきたいのです」 私「だから私は俳句は分かりません」 先生「そうでした。川柳で大丈夫です。よろしくお願いします」 何度言っても「俳句」と言うので、その度に「川柳です」と念を押して電話を切った。だが、国語の先生がこんな間違いをするだろうか?まさかね…と不安になったが、「川柳」教室を引き受けることにした。

当日、学校の入口に大きな文字で「歓迎・俳句講師 真島久美子先生」と書かれていてひっくり返りそうになった。案内役の生徒がその横で待っていてくれて、私を校長室に案内してくれた。私と電話で話した国語の先生を探したが見当たらない。あんなに何回も「川柳です」と言ったのにコレだ。誰かに文句の一つも言わなければ気が収まらない。その日は校長先生が外出中とのことで、教頭先生が校長室にやって来た。 教頭「お待たせしました。やっぱり久美子やったね」 私「は!?なんで〇〇先生が!?」 教頭先生は、私が中学生の頃の剣道部の顧問だった。だったら尚更言いやすいと思い、電話の話から外に書かれている「俳句講師」の話まで説明をした。先生は昔とちっとも変わらず穏やかに答える。 教頭「まぁ良かやっか。川柳ば教えてやって」 私は心の中で(まぁ良かやっか?良かとかね?良くなかよね?)と何度も考えながら、教室へと向かった。

釈然としないまま、俳句なのか川柳なのかよく分からない教室が始まった。子供達が作ってきた句を実際に見てみると、どれも「川柳」だった。俳句の先生が見れば「俳句」と言われるのかもしれないが、私の目には「川柳」だった。川柳と俳句の垣根を私が勝手に作っていただけで、子供達にはそんなもの一切関係ないのかもしれない。私はいつも子供達に「自由に作っていいよ」と言っている。それなのに、一番自由にやれていないのは私自身だ。何度言っても分かってくれなかった国語の先生と、勝手に垣根を作っていた私。楽しそうな子供達を眺めながら、どっちもどっちだと笑いたくなった。

閲覧数:41回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comentarios


bottom of page