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初恋抄(6)かけおちも覚悟の二人親の前2019年9月5日掲載

私が小さい頃から川柳をしているのは両親の影響だ。今回は、その両親のことを書きたいと思う。

父はもともと俳句をしていて、地元の佐賀新聞に投句していた。ときどき入選するのが嬉しくて毎週投句を欠かさなかったらしい。そんなある日、佐賀番傘会長の北島醇酔先生から「あなたの句は川柳に向いている。ぜひ川柳も投句してみてください。」というお手紙が届いた。父はその手紙が嬉しくて、すぐに川柳を始めた。川柳は句会や大会も多く、あっという間に川柳のとりこになってしまった。まだ結婚前でデートもそっちのけで父が句会に参加するものだから、母はよく拗ねていたそうだ。「だったら私も川柳をすればいい!」と一念発起し、母も川柳の世界へとのめり込んでいく。 二人は母方の父に結婚を反対されていた。母がまだ21歳だったのだから当然かもしれない。父が「娘さんと結婚させてください!」と何度頭を下げても、承諾はもらえなかった。7回目を断られた頃、父の川柳が佐賀新聞に掲載される。

かけおちも覚悟の二人親の前 真島清弘

その日、近所の人が佐賀新聞を持って慌てて母方の父の家に駆け込んだ。「木下さん!(母の旧姓)アンタ早ぉ結婚させてやらんぎ、ふたぃとも駆け落ちすっばい!おらんごとなっぎアンタのせいばい!」(木下さん!あなた、早く結婚させてあげないと二人は駆け落ちしてしまうよ。居なくなってしまったらあなたのせいですよ)そして、8回目でやっと承諾をもらう。この句が無かったら、私は生まれていなかったかもしれない。 そんな二人なのだから、川柳中心の生活は当たり前だ。私は、川柳以外で家族旅行に行ったことが無い。大袈裟と言われるかもしれないが本当の話だ。まず川柳大会に参加して、終わるのがだいたい16時頃。大会が終わってから会場近くの動物園や海や遊園地に出かける。1時間で動物園を回る。いや、動物を横目に見ながらのマラソンだ。薄暗い海で泳ぐ気持ち悪さも忘れられないし、遊園地では入場して2つほど乗り物に乗ったらもう閉園。遊園地でフリーパスで1日中遊ぶなど夢のまた夢だった。 川柳をすることに何の疑問も持たずにここまでやってこられたのは、川柳の魅力もさることながら、両親のお蔭だと感謝している。私から川柳を取ってしまえば何が残るというのだ。残念ながら昨年、父は亡くなってしまったけれど、母と二人切磋琢磨しながら川柳を楽しみ尽くしたいと思っている。

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