今年度の子供川柳教室が1月末で終了した。もちろん来年度もあるのだが、今回で六年生の四人がお別れすることになり、心にぽっかり穴が空いてしまった。長い子は六年間一緒に川柳をしてきたし、短い子でも三年間一緒だった。当たり前だけど低学年の頃はみんなとても小さくて、
「先生、オモチャって何文字?あ、何音字?」
「どんな言葉を使ったら入選すると?」
「どこの小学校が一番上手?」
「嘘のことを川柳にしたらダメと?」
「女だけどボクって使ってもいい?」
なんて、質問攻めにあったものだ。男の子は未だに騒がしいけれど、女の子は学年が上がるにつれて静かになっていって、自分の書いた句を隠してなかなか見せてくれないこともあった。
ある日、小学五年生まですらすら作句していた子が六年生になって急に句が作れなくなってしまった。一回の授業でノートいっぱいに句を書いていた子だったので、少し心配になり、
「夢とか希望とか立派なことを書く必要はないとよ。友達とケンカしたこととか、家での失敗とか、身近なことを句にしてごらん」
というと、小さな声で、
「お母さんの悪口でもいい?」
私は驚いたが、もっと小さな声で、
「もちろんよ」
と言った。そしてすらすらと三句ほど書いたので「見せて」とお願いしたが「ダメ~」と言って腕で隠す。私はどうにかして読もうと思い、斜め前に立ったり後ろ側に回ったりしたが見せてもらえなかった。でも、数ヶ月ぶりにその子のノートが川柳でいっぱいになった。とうとう句は見せてもらえなかったが、帰り際に
「お母さんとケンカばっかりするし、ちっとも私の話を聞いてくれんけん句にしてスッキリした」
と笑顔を見ることができたのは大きな収穫だった。楽しそうに作句する姿に川柳の原点を見たような気持ちだった。
卒業する四人は、私立の中学に行く子もいてばらばらになる。川柳教室ではいつも指定席に座って、四人でこそこそ宿題をしたり鶴を折ったり、マンガ本を読んだりして私に叱られていた。それでも私はこの子達を我が子のような気持ちで見守ってきたつもりだ。私は川柳しか教えてあげられなかったけれど、この経験が彼女たちのこれからに少しでも役立つことを願わずにはいられない。川柳との出会い、私との出会い、ずっとずっと忘れないでくれたらいいな。
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僕もここで期待の中3が抜けてしまいます(囲碁だけど。)
彼は超秀才で高校から県外の有名高校へ進学だそうです。
彼の弟(5年生)と妹(2年生)も囲碁を教えているのでまた次代のホープです。
ちょっと前の話ですが、去年の暮に中学時代に教えてた子が女子大生になって帰ってきました。
すごーく綺麗になっていて最初ぜんぜん気が付きませんでした。
「ちいー子?」
「うん!」
きっと久美子先生も蒔いた種の美しく咲いた姿が見られる日がくると思います。
楽しみだね。