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初恋抄(42)芽のエッセイ 2022年11月30日更新

 熊本番傘お茶の間川柳会代表の黒川孤遊さんから姪の芽に『壷』のエッセイ依頼が来ていた。

「原稿用紙二枚~三枚、なんでもいいから書いてね」

と言われた芽は

「本当に何でも良かと?本当に?」

と何度も聞いていたので、何を書くつもりなのかと聞いてみた。すると

「ちょっとねぇ、芽も川柳について思うところがあるさ。エッセイとか苦手ばってん、頑張って書いてみるけん」

十七歳の芽の『思うところ』がとても気になる。

我が家は、母がいて私がいて姉の凉がいて妹の芽がいる。全員が川柳をしているので、一番年下の芽が川柳についてなにか言うなんてとても珍しいことだ。一か月ほどして、やっと書き上げた原稿用紙を私に渡し「ネータン、これを孤遊さんにメールしてくれん?」と言うので真っ先に読んでみた。ふむふむ、なかなか面白い。というか、こんなことを考えていたのかと感心してしまった。『壷』に掲載されたら、孤遊さんにお願いしてここにも転載させてもらおうと思う。

 自由に書くということは、私はとても怖いことだと感じている。誰かの文章を読んで、そうじゃないよと思っても私が言葉にすることはほとんどない。そういう考えもあるのだと、なるべく受け入れようと思っているからだ。それでも、批判を堂々と書く人もいるし、その批判を載せる本もある。本の中で喧嘩をしているようで、読むに堪えない気持ちになる。私の勉強不足ゆえの弱さかもしれないが、私と同じような気持ちになる人も多いと思うし、弱いままでよいとも感じている。

先日、川柳葦群の流青さんに

「書きたいことがあったら何でも書いていいよ。葦群のページはちゃんと空けるから。」

と言ってもらえた。葦群になにか書けるなんてとても光栄なことなのだが、やっぱり私は書くことが怖い。初恋抄で当たり障りのない自分のことばかりを書いているのは、この世界を怖いと思っているからだろう。この恐怖心をいつか克服する日がくるのだろうか、と思いつつも、この恐怖心を克服した真島久美子は、私はあまり好きになれそうにない。



       (卑弥呼の里川柳会に「おもち」が仲間入りしました!) 


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